ヨキの柄

あれこれ徒然に

サルの群れ

おバカたちの変わらぬ夏は繰り返される。

 

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私はテンカラ釣りが好きで、春から秋の間、支流や谷に入る。

 

滋賀県東近江市、愛知川の支流である神崎川の林道にゲートが設置された時に、林道途中の空き地で集まっていた地元の方々と話をしたことがあった。

地元の方はこう仰った。「ワシらは山の整備や地元の活動で林道を使う。ゲートなんか設置したくはない。いちいち開けたり締めたりせなあかん。そやけど、そうせにゃならんようになってしもた」と。

 

私が何故ゲートを設置したのかと聞くと、別の方が声を大きくしてこう仰った。「川原でバーベキューする奴らのゴミが流れて、用水の取水口や堰堤やらに詰まる。ゴミは拾っても拾っても毎週増えるし、無くならん」と。続けてまた別の方が「京都や大阪ナンバーがようけ来る。わざわざこんなとこまでや。特に大阪ナンバー。外国人も多い」と。ある方はこうも仰った「釣りや川遊びのイベントの人ら(シャワークライミングなど)はええんや。それなりにきちんとしとるし、ゴミもせん。釣りの人も中にはゴミする奴もおるけど、バーベキューの奴らはゴミも空き缶も炭もバーベキューの台も何もかも捨てていく」と。

 

私は釣りがしたくてこの林道を使っていたし、夏に川原BBQの集団が来ていることも知っていたが、地元の人がそんな迷惑を受けていたとまでは知らなったので、驚くとともに怒りもこみ上げた。下流の集落でバスが通る道に路駐の列ができていて警察が整理しているのも見たことがある。路駐の列で生活道路が塞がっていた。

こういう輩は、自分の住むところがこんな状況になったらどうか、ということは考えない。夏に浮かれてお出かけして、駐車場が無いのが悪いとか、ゴミ箱が無いだのトイレが無いだのと文句を言う。警察官も呆れてしまって仕事をこなすだけで精一杯、バスの運転手もすでに諦めている様子だった。地元のおばあちゃんはバス停で静かにバスが来るのを待っていた。なんともカオスで悲惨な光景だった。

 

こういう輩は集団で責任を分け合って自分は悪くないと位置づけする。そして、その場所が規制されて川原BBQが出来なくなると、別の場所へ移動しワラワラと集結して同じことを繰り返す。こうした行動は先輩から後輩へ引き継がれ、年号が変わっても文化レベルは一向に高まることもない。

 

私が住む地域でこういうことが起こったら、どうしたらいいだろうかと考える。やはり、地元住民は集会所で会合を開き、ゲートなどで車が入れないようにするしかないとなるだろう。その予算はもちろん地元の会計からであって、それなりの議論となるだろう。市にも相談してそれなりに大きな話になるだろう。

地域を愛して訪れる人はお客さんだけれど、こうした輩の集団はただの迷惑なヨソ者なのだから、排除するしかない。結局は田んぼや畑を散らかすサルの群れと同じなのだ。何処かの地域で花火や空砲などでサルの群れを追い払えば、近隣の他の地域でまた同じことが繰り返され、何年も何十年もそれをぐるぐる繰り返しているだけなのだ。

 

川原BBQの輩たち集団は、つまりはサルの群れなのだ。駆除するしかないのだ。

 

山にある私の作業小屋では鹿もサルも共存しているが、それは私個人の話。山里で人々が平穏にその地域の文化を守りながら暮らすには、駆除することも必要なのだ。